+act を読んで。

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今、旬くんファンブログでも話題の+actの記事、田舎にすんでるぽっちりは、近所の書店でこの雑誌がおいてないので、今日までお預けかと思いきや、ちぃさんのところで読めることが発覚!ようやく皆さんの話題についていけることに。まあ今日は大手の書店にいけるの、現物を手に入れてきますが♪

ちぃさんありがとう!

http://blogs.yahoo.co.jp/sohappy_syun1226/archive/2008/01/30


で、読んだ感想なんですが、心にぐっとくる記事でしたが、なんというか、巷で言われるほどのショックを受けたわけでもなかったんですね。例によって、わたし、感受性がにぶいのかもしれないんですが。

なんというか、この1年間旬くんのファンをやってきて、結局のところ彼はいつもこういう物言いだし、こういう考え。とんがっていて、無駄に素直で不器用で、役者という仕事について真剣に純粋に向き合っている。25歳(出会ったときは24歳)の現代の若者でこんなに整った容姿をもっている旬くんが、「役者」というものに対して、熱い考えをもっていて、しかもその考えをオブラートに包まず、刺激的にしゃべってしまう。こんなスパイシーな魅力にとりつかれてこの1年間ファンをやってきたわけだし。


今回の記事が刺激的だったのは、「情熱大陸」のときにも感じたことだけど、彼が現在の自分のすさまじい人気にとまどい、むしろ迷惑に思っている。その状況、感情が、舞台「カリギュラ」とシンクロしていたがゆえに、役作りをしなくてもカリギュラの気持ちがわかるほどだった。

これがファンにとっては、なかなか痛い言葉だったのかもしれない。

そして、スタオベに対しての感じ方も書いてましたが・・・・

これを読んで、「じゃあ、ファンの私らがどうしたら、旬くんは満足してくれるんだ!?」というとまどいを感じたファンのかたがたも多いんでしょう。


で、私の考えですが、スタオベについては旬くんと同意見です。スタンディングオーベーションは、その鑑賞している芸術なりスポーツに、心から感動し、拍手だけでは物足りない、とてつもない高揚感、感激を演じ手に伝えるために、自分ではおさえきれない衝動で立ち上がり、拍手する!ってなときに使うべきだと思うから、

「まわりが立ってるから、私も立とう!」とか
「今日の演技はつまらなかったし、居眠りしちゃったけど、旬くん大好きだからスタオベ!」

とかは、そりゃあまあ違うだろ、とは思います。


ただね、小栗旬もあの木俣さんのインタビューのときにはわかっていなかったこともあると思うんです。

それは、毎日舞台で、役を演じて、真剣にその舞台舞台で演技を向上させようとさせている旬くんたち役者さんや舞台の裏方さんと違って、私たち観客は、限られた回数しか芝居をみれないってこと。

あの劇場の、あの空間に足を運ぶために、死に物狂いでチケットをとり、抽選があたれば狂喜乱舞し、はずれば落胆し、チケ流をながめ、ヤフオクをチェックし、譲渡交換掲示板を日々眺め、なんとかとった大切な大切なたった1回の1枚のチケット、これを握り締めて、多額の交通費をはらって劇場にいき、「カリギュラ」を見た。こんな人も多いでしょう。

もしかしたら、難しくて理解し切れなかったかもしれない、やっぱり「小栗旬の生を見た!」という感激が、芝居の中身より大きかったかもしれない。それでも、「生の小栗旬を、やっとこの劇場で見れた!」という感動でスタオベをしたからって、別に誰にせめられるわけでもないし、それは悪いことでないと私は思います。

たとえ旬くんが「あ~今日のは俺としてはイマイチだったかも・・・」と思っていたとしても、そういう違いはわからない。ただ、与えられたその3時間で、自分が感じたもの、その感情によって、衝撃のため動けないかもしれないし、スタオベするかもしれないし、反応はいろいろだと思うんですね。だからそれは、旬君に文句を言われる筋合いの話ではないわけです。


そういう意味で、彼が言っていた「観客がスタオベしても、しなくても腹がたつ」というのは、まさに彼特有のとんがった刺激的な発言だと思います。でもね、あんたそりゃあ、違うでしょ!観客あっての芝居、ファンあっての芸能人なんだから、その観客やファンをないがしろにする発言しちゃあいけないし、そんなインタビュー載せんなよな~ライターも編集局も。

ってのも違うと思うんだな~


まさに彼の言うとおり

「俺が自分の言いたいこと言って、何が悪いの?」

だと思うんですね。この発言で、「ファンを大切にしない旬くんは嫌い!私の王子様じゃない!」といって嫌いになっちゃう人もいるのかもしれないけど、それはそれでいいんじゃないかと。だって、彼のこの1年の行動、言動をみて、彼は本当に今、こういう考えだっていうのは、よ~くわかってるし(笑)


そして彼もきっともう少し状況が変わって、彼自身も大人になってきたら考えも変わってくると思うんですね。やっぱり観客がいるからこそ役者の演技の意味があると。

観客というのは、ジャッジ、審判員であると思うんですね。

たとえば私の好きなフィギュアスケートの試合ですが、審判員とは別に観客がいます。選手のおこなった演技に対して、点数をつけれるのは審判員のみ。当然、自分の思った感情や、見立てとはまた違う点数がはじきだされます。ここに時々違和感が生じるわけですが。
そしてその点数に対して、オリンピックでも、金銀銅の色が違ってくる。水泳や陸上などのに、mm単位、0.01秒単位で違ってくるメダルの色にくらべて、審判員の感情で点数が非常に左右されるスポーツです。

観客の反応もそりゃあ点数に反映させてほしいけど、それはもう、スポーツである以上仕方ない。審判員のジャッジがすべてです。なるべく審判員の個人の好みや感情が入らぬように、いろいろと工夫されてます。個人の感性にゆだねられる芸術点以外の技術点は、技に対して、何点、何点、という感じで。

それにたいして、バレエ、オペラ、ミュージカル、舞台、音楽のコンサート、こういったものは、スポーツのような審判員がいない。点数もでない。メダルの色も出ない。(賞はあるけど)舞台の批評家や、ライターやマスコミの記者も入ってるけど、基本的には観客がその日の舞台の出来の審判員。観客の反応で、演じ手たちは、自分たちの今日の出来を審判される。

その審判が、
「自分へのひいきの人間で固まっていて、ちゃんとした審判がなされているかどうかわからない」
というのが旬くんの苛立ちの状態なんでしょう。中東の笛によって守られたクウェートのハンドボールの選手状態になるのを恐れてるんでしょうね。

でもね、確かに今の状態は彼にとってもファンにとっても異常なぐらい加熱した状態なのかもしれないけど、やっぱり観客がたくさん入って、その舞台がより多くの人に見てもらえること、ってすばらしいことだと思うんです。日本対韓国のハンドボールの選手たちは、いつもガラガラの観客席のなか試合をしていた。そして今回の騒動で、初めて、満員の観客がから、惜しみない声援の声が鳴り響くなか、試合ができた。それを選手たちはとても幸せに思っていて、自分たちの力になったと言っている。そして今回たまたま話題だからと、日本と韓国の試合を見て、「ハンドボールってこんなに面白いもんだったんだ!これからも見に行こう!」って思った人はたくさんいるはず。

同様に、生の小栗旬をみたさに劇場に足を運んで「舞台ってこんなに面白かったんだ!これからも機会があれば、旬くんがでてなくても舞台を芝居を見に行こう!」って思った人は数え切れないはず(わたしもその一人)


今は、こういう観客の気持ち・・というものに少しひねた考えをもっている旬くんも、そのうち、変わってくるんじゃないかなあと思います。いいじゃないですか、若くて青くて。24歳で蜷川幸雄ノタイトルロールのカリギュラという大役をやったんだもの。それだけ役にのめりこんで、この世の在り方を呪い、鬱屈した自分の気持ちを毒に混ぜて世間に撒き散らす。純粋で素敵だなあ~


でも、なんなんでしょう、この私の彼へのセゾニアのような愛は(笑) 彼がこんなとんがったこと言ってても、ぜんぜん気にならない。むしろどんどん好きになっていく(笑)


だいたい、始まりがそうだもん。花沢類で見た目と役柄が気になって、ドラマが終わったあとに「小栗旬」って男の子について、もっと知りたい!って思って、書店のバックナンバーのアクチュールや+アクトをむさぼるように読んで、その結果

「若くてかっこいいのに、芝居、役者ってものに、本当に真剣に、不器用なぐらい純粋に取り組んでるな~」

ってとこに、感銘をうけてどんどんファンになっていったんだから。もちろん、見た目が(特にスタイル♪)好き~!ってのも大きいのは大きいんですが。


とまあ、ぽっちりが感じたことはこんな感じ。彼がちょっとやそっと、問題発言したからって

「ああ、そんなことはもうどうでもいいの」 by セゾニア


ってな感じでしょうか。今後の役者「小栗旬」の成長が楽しみです。
相変わらずまとまりのない、思いつくままの駄文長文の羅列、失礼しました~
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by pukapuyajiri | 2008-02-03 10:00 | 小栗旬
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