2007年 10月 31日 ( 3 )

スコーン

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先日、持ち寄りランチ会に、友人がスコーンの生地をもってきました。その場でぱっぱと切り分けて、友人宅のオーブンで焼いてもらい、みなで食べたのですが、それがすごく美味しかった!

そんでもって今日、週末のキャンプの食材などの打ち合わせを、別の友人たちとするので、集まることになり、そこへの手土産としてスコーンを焼いてみました。

参考にしたレシピはこちら。例によって、クックパッドからで~す

http://cookpad.com/mykitchen/recipe/450051/

個人的に、イギリス留学時に食べていたスコーンを思い出して、塩を若干多めにしました。二つまみはいれましたね。そして牛乳でなく、プレーンヨーグルトで作りました。


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おまけに、粉類をふるうとかはめんどくさかったので、ヨーグルトとバターを入れる前に、きべらで混ぜただけ。そこにヨーグルトとサイコロ状にきったバターをどばっと入れたら、手で少しずつ混ぜていくだけ~簡単!


ちなみに、手土産にスコーンを持っていこう!と思い立ってからきっかり30分で焼きあがりました。手順としては

1、まず余熱。ぽっちりは200度で設定しました。

2、材料を計量、指先で全体をぽろぽろさせながら混ぜていく

3、全体が一固まりになる程度まで、生地がなじんだら、まな板のうえなどで四角形に成形

4、包丁で四角くカット  (このころまでおよそ10分ぐらい?余熱もOKになってます)

5、天板の上にクッキングシートを敷き、カットしたスコーン生地をおき、焼成。
  200度で15分~17分

6、クリームチーズといちごジャムを添えて、出来上がり~


とまあ、見事に30分で、サクサク美味しいスコーンが焼きあがり、友人宅にもって行きました。まじでこのレシピおすすめです!すごく美味しかった!ちなみに本来のレシピと焼成時間が違うのは、待ち合わせの時間まで30分しかなく、焼成時間は15分にしたかったので、本来のレシピより高温にしてみました(笑) ばっちりうまくいったよ!


というわけで、ちょいと手作りのものを持っていくときに、おすすめです!
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by pukapuyajiri | 2007-10-31 20:00 | パン作り

舞台「カリギュラ」を理解するにあたってのミニ知識          ~カリギュラ皇帝時代最終章~ 

(カリギュラ皇帝時代(下)が先にアップしてますので、このシリーズを読んでいる方はそちらからどうぞ。)

★カリギュラの治世の最後には、財政破綻だけでなく、外交の面でも悪化の一途をたどりました。破滅の日はもはや間近に迫っていたのです・・・


ローマ帝国の統治の方法として、属州と、同盟国という位置づけがあります。属州はローマ帝国の統治下なのですが、ローマ帝国から送られてきた総督の監視のもと、宗教や文化、伝統は各地のものを守り続けることができました。同盟国はさらに、自国の王族も続けることができる、という点で有利でした。

そんな同盟国にマウリタニア王国(現在のモロッコとアルジェリア西部)ありました。マウリタニアの王系が途絶えたときも、アウグストゥスは属州化は見合わせ、かのアントニウスとクレオパトラの娘、カエサリオンとヌミディア最後の王のユバの息子を結婚させ、マウレタニア王国を任せたのです。そして、カリギュラの時代に王であったのは、このふたりの間にうまれた、トロメウスでした。

前の記事にも書いたとおり、カリギュラの母方のひいじいちゃんはアントニウスです。父方はアウグストゥスですが。つまりトロメウスと、カリギュラは血がつながっている・・・この事実に我慢ならなかったカリギュラ、なんとトロメウスをローマによんで、殺してしまうのです。さらには、マウリタニア王国の属州化を宣言しました。無茶苦茶なやつですね、ほんまに( ̄▽ ̄;)  当然、マウリタニア人は反ローマで蜂起して、今まで何も心配しなくてよかったマウリタニア王国にも兵力をさかねばならないという事態になったのでした。。。。

また、ユダヤの人々との関係にも亀裂が入りました。ユダヤ人というのは、昔から嫌われ者というイメージがありますよね。ヴェニスの商人しかり、ナチスによるユダヤ人の迫害もしかり。その理由というのは、ぽっちりも今まで、イマイチぴんときていなかったのですが、それが今回の塩野さんの「ローマ人の物語」のカリギュラの中に書かれている記事を読んで腑に落ちました。もちろんこれは、ユダヤ人の悪い点などが書いているわけでもなんでもなく、いかに彼らの宗教の特異性が、古代でも特異でも浮いている存在であったか、が分かるのです。決して、ナチスの起こったユダヤ人迫害が妥当なものだったとか、そういう意見が述べられてるわけではありませんよ。とりあえず多くは長いので割愛します(笑) 知りたい人は、ぜひ読んでください。

ただ言えるのは、キリスト教が生まれる前に、すでにユダヤの人々によりこの世で唯一の「神」が彼らの中で、信仰されており、その「神」はモーセにお告げをしたときに、偶像崇拝の禁止も含め、数々の禁忌事項を告げたのです。そして、それらを厳格に守り通す人々がユダヤの民であって、彼らにとって「神」というのは、この地に降り立ってくるものでもないし、ましてやその姿などは作ることも忌まわしいものなのです。だからこそ、イエスキリストが、自分は神の子だと言って布教活動をしはじめたことに、ユダヤの民は怒り、彼を十字架に磔(はりつけ)にしたのですが、最終的に裁判となり、イエスの有罪を判定した総督ポンティオ・ピラトがローマ帝国から派遣された人だとは、私も知りませんでしたわ。そうか、総督、ってそういう人か!と本当に、腑に落ちました。

そんなユダヤの民と、自身は最高神ユピテルと同一の「神」であると公言するカリギュラの相性が良くないことは、分かりきったことだというのは、いうまでもありません。とはいえ、アウグストゥスが本当にすばらしいことに、ユダヤの民のそういった特別な信仰、文化をもつことに配慮して、彼らの信教の自由を認め、兵役さえも免除し(彼らは安息日の観念があるので、ローマ的な兵役にはそぐわなかったのです)、そのかわりに経済活動において活躍してくれ、とした統治をしていたので、ユダヤの民たちは、ローマ帝国の下で満足していたようです。

それが、カリギュラの代になり、問題がおこってきたのです。というのは、昔からギリシャ人とユダヤ人というのは、学術や芸術の面でもライバル意識があり、ありていにいってしまえば、仲の悪い民族同士でした。そして、ローマ帝国の中ではギリシャ人もユダヤ人もどちらも統治される側だったのですが、「神」を公言するカリギュラは、その二つの民族の対立感情を燃えあがらせる起爆剤となったのです。そしてエジプトのアレクサンドラ、どの地域よりもギリシャ人とユダヤ人の実力が伯仲していた地域で、その暴動はおこったのです。

ギリシャ人は、「神」であるカリギュラの像をあがめることもせず、皇帝を「神」と認めないユダヤ人は間違っている、と、カリギュラに名をかりて、ユダヤ人所有の船をすべて焼き討ち、ユダヤ人が住む区域の家々も焼かれ、略奪され、ユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグの中にまでカリギュラの像をもちこんでは、偶像崇拝を禁じている神から罰が下る・・・と恐れおののくユダヤ人を嘲笑しました。土曜の安息日は廃止され、ユダヤ人を追い出した区域では、400もの屋敷が焼かれ、シナゴーグも焼かれ、36人の祭司たちは競技場に連行され、ギリシア系の住人の嘲笑のなかで鞭打たれたのです。

そんな状況をなぜローマ帝国側の長官はほっておいたのか。このときの長官はティベリウスの任命したフラックスでしたが、これまでの長年の善政とは一変して、ギリシア人側にたったのです。というのも、「神」を公言するカリギュラはまだ若く、これから長く治世が続くかもしれない。そのカリギュラを旗印に、「神」であるカリギュラを認めないユダヤ人を迫害したギリシア人の暴動を鎮圧することをためらってしまったのです。そのせいで、ユダヤ人の全面的な弾圧には拍車がかかりました。

経済の重要な担い手であったユダヤ人の経営する工場は閉鎖、通商もとまり、日用品を商う店すら、ギリシア人の襲撃を恐れて閉店状態。東方一といわれたアレクサンドリアの経済は麻痺状態でした。そして、こうなってはローマ帝国にこの悲惨な状況を説明して、改善してもらうほかない、とユダヤ側は使者をたてることにしました。
ユダヤのプラトンと呼ばれ、ユダヤ人社会でも人望の高かったフィロ。真摯なユダヤ教徒でありながら、ギリシャ、ローマ文明の優れた文明も認めており、ローマ帝政下でのユダヤ民族の存続の可能性を信じているという穏健派でした。

そして、何ヶ月も待たされた上に、ようやく実現したカリギュラとの対面。「マエケナスの庭園」とよばれる、カリギュラの私有地で、ローマの上流市民を招いての演劇の上演を計画していたるなかに、ギリシャとユダヤの両使節団の意見をカリギュラは聞き、その様子をフィロは書き留めています。

このときの様子は、塩野さんいわく、どのような歴史書よりも、このフィロが書き残した体面の様子が、カリギュラという人物がどのような人物であったかを示している、というほど。これまた長いので割愛しますが、そのときの対応を見る限り、カリギュラは狂人ではなく、わりとまとを得た質問、答えをしているし、それなりのユーモアもある。そして、フィロの切々とした説明を聞き、こうも言っています

「あなたがたユダヤ人は、ギリシア人が言うほどには悪質な民族でないように思う。だが、不幸で愚かな民族であることは確かだ。なぜならこの私が、神の本質を相続したことを信じないというのだから」

とはいえ、カリギュラは、事態を打開すべく、アレクサンドリアの新長官の任命し、その長官はこれまでのようなギリシア人の横暴を許さなかった、という点では、フィロたちの陳情は成功したのかもしれない。しかし、これまでアウグストゥス、ティベリウスの統治方法に不満を抱かなかったユダヤ人が、ローマ帝国に不信を抱くのは無理もなかったでしょう・・・

数々の法律改正による金の巻上げに加え、「国家反逆罪法」の復活による恐怖政治と、もはやカリギュラの支持は地に落ち、市民にも、元老院にも、怨嗟の声がみちあふれていました。そんな中でも、皇帝に手を出せなかったのは、親衛隊の存在があったからです。アウグストゥスはカエサルが解任したゲルマン人による身辺警護システムを復活し、ティベリウスはさらにその警護を強固なものとしていました。カリギュラはさらにこれを拡大し、近衛軍団の兵士まで警護役に加えていました。なおかつ、近衛軍団の隊長クラスは父ゲルマニクスの下にいた「ゲルマニクス軍団」から抜擢していたのです。つまり、「ゲルマニクス神話」の信仰者たちで固めており、これにはいかに勇気ある元老院議員も簡単に手を出すことはできなかったのでした。

そしてそのカリギュラが他の誰よりも自分への忠誠を信じていたに違いない、「ゲルマニクス神話」の信仰者により、カリギュラ暗殺はなされました。

紀元41年1月24日。神君アウグストゥスに捧げるパラティーノ祭が、皇宮もあるパラティーノの丘で行われていました。午前中から行われていた催し物を熱心に最後まで鑑賞したカリギュラ。午後の1時ごろになって、昼食のために席をたちました。会場から皇宮までは、短い地下道で結ばれています。それを通り抜けようとしたとき、近衛軍団の大隊長カシウス・ケレアが、背後からカリギュラの首に斬りつけました。ぐらりとゆらいだカリギュラを、もう一人の近衛軍団の大隊長のコルネリウス・サビヌスが正面から胸もと深く突き刺し、ときも置かずに、ケレアが倒れたカリギュラの頭めがけて剣を振り下ろしました。

ゲルマン人の警護兵が駆けつけたときには、皇帝の殺害だけでなく、皇帝の4番目の妻、カエソニアも心臓を一突きされて息がなく、乳母の胸からもぎ取られた1歳の娘ドゥルシッラも、地下道の壁にたたきつけられて死んでいました。

カリギュラと称された「ガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス」の統治は、3年と10ヶ月と6日。28歳と5ヶ月の死でした。カリギュラの遺体は、急な火葬だけすまし庭園の一隅に葬られました。皇帝一族の墓所である「皇帝廟」には葬られることもなく。埋葬の場がどこであるかは、いまだに不明。

下手人であるカシウス・ケレアと、コルネリウス・サビヌスは、その後皇帝を暗殺した罪で死刑となりますが、そのほかに罪を問われたものはなし。ふたりは、まったく何の抵抗もせず処刑に従います。彼らは暴君を殺害し、新時代を切り開く突破口となったと、元老院からもローマ市民からも感謝され、なおかつ、2000人もの大勢の子飼いの兵をもつ近衛軍団の大隊長であったにもかかわらず。彼がその気なら、その兵力を武器に、自分たちの意に染まるものを新しい皇帝となし、罪を逃れることもできたかもしれない。でも、いっさい何の弁明もせず、何も言い残さず、書き残さず、そして自分たちの部下を罪をかぶせることなく、潔く二人は死に服しました。この二人の大隊長の死刑宣告への抗議を封ずるつもりか、近衛軍団の全兵士には賞与が与えられたことにより、粛々とカリギュラ暗殺事件は幕をひいたのです。

史実ではこれしかわかりませんが、塩野さんは著書のなかで述べられていることを要約します。

カリギュラ殺害の首謀者であったカシウス・ケレアが27年昔にライン川を守るゲルマニア軍団で百人隊長を務めていたことは史実にもある。当時といえば、アウグストゥスが死去してティベリウスが皇帝となった年であり、皇帝の交代を機に、待遇改善を求めるゲルマニア軍団がストライキを起こした時期です。このときのゲルマニアの司令官はゲルマニクス。そして、当時2歳で軍団のマスコットとして可愛がられていたカリギュラのおかげで、ストライキが沈静化したのは、前にも述べたとおり。そして、暴徒と化したゲルマニア軍団から、ゲルマニクス一家を守るべく、刀を手に、兵士たちのまえに立ちふさがったのが百人隊長時代のケレアだったのです。

その後の、ケレアの経歴は歴史書にはのっていませんが、最終的に近衛軍団の隊長になったところを見ると、おそらく、カリギュラが皇帝となるまで、順調に出世を続け、カリギュラが信頼をおくほどだから、それなりに行動を共にしていたのでしょう。そして、共にしているがゆえに、自分たちの敬愛するゲルマニクスの息子、まるで自分の子供のような年齢差の若者が、愚行をくりかえし、帝国を危機に陥れていくさまに、心を痛めていたのではないでしょうか。

妻をもたず独身を続けるケレアを「同性愛」だといってカリギュラはからかっていたらしく、後世の歴史家スヴェトニウスはそれが理由で、皇帝暗殺をたくらんだとしているようですが、兵士として絶対の忠誠を誓った、小さいときから見ているゲルマニクスの息子を殺すのには、この程度の怨恨では根拠が薄すぎるでしょう。カリギュラの未熟なままで終わった性格を考えれば、馬鹿にしてからかうというよりも、甘えの表現の一種ではないかと。そして、カリギュラとっては父親になるような年齢のケレアもまた、父親のような目で、カリギュラを見ていたのかもしれません。そして60も間近になり、除隊後も寂しい一人暮らしが待っているだけのケレア。不肖の息子を殺す父親のような想いで、「小さな軍靴・カリギュラ」に剣をふるったのではないでしょうか。まるで、身内の不祥事は身内で始末をつけるとでもいうように。

そして、カリギュラを殺した後のケレアは、部下に命じて、次は自分かと恐れおののき隠れていた、カリギュラの叔父、クラウディウスを連れてこさせます。そして、元老院が次の皇帝をどうするか決める前に、近衛軍団の兵営地に戻り「インペラトール(皇帝)!!!」という兵士たちの歓呼を浴びせさせているのです。クラウディウスはゲルマニクスの弟でしたし、ケレアの中では一番の後継者だったのでしょう。実際、病気で外見的にすこし障害のあったおかげで、カリギュラから馬鹿にされ、自分の後釜として誰もかつぐ気にならんだろう、殺されずにすんだクラウディウスは、その後、期待されなかったわりには、なかなかの治世をしいているのです。もっとも、カリギュラの後なので、何をしても良くなった、と捉えられたでしょうけど。

こうして、三代皇帝「カリギュラ」の人生は幕を閉じました。華麗なる一族の一員として生まれ、容姿にも恵まれ、平和でお金がたくさんあるすばらしい状態でローマ帝国を引き継いだはずが、叔父のクラウディウスの代にわたったときのローマ帝国は、ユダヤ問題やマウリタニア問題などを外交面でもかかえ、財政破綻の国家でした。カリギュラが愚帝だと称されるのは仕方のないことでしょうか。


                  ★★★★★★★

以上、史実の「カリギュラ」のミニ知識でした~。ぜんぜんミニ知識とちゃうやん、という規模のものなってしまいました( ̄▽ ̄;)  やっぱまとめる能力がないのか?これでも、ずいぶんといろんなエピソードを抜かしたつもりなんですがね。。

気づけば、明日で11月。カリギュラの舞台初日まで少しじゃないですか~!というわけで、なんとか舞台初日までは、「さくっと読めて、とっても簡単なカミュのカリギュラのあらすじ」を書きたいと思ってます。原文で挫折してしまったかたは、ご参考までに。原文の世界が好きな人は読まなくてもいいぐらいの、簡単なものにするつもりなんで、あしからず( ̄▽ ̄)V
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by pukapuyajiri | 2007-10-31 06:42 | カリギュラ

舞台「カリギュラ」を理解するにあたってのミニ知識 ~カリギュラ皇帝時代 下

★ 浪費の限りをつくすカリギュラ。そして浪費の果てに行き着いたのは、皇帝の私有財産と国家の財政破綻。若き皇帝はどのような末路をたどることになるのか・・・


皇帝に即位して3年で、ティベリウスが残した莫大な黒字予算を、当の昔に使い果たしたカリギュラ。その後はなんとかやりくりして穴を埋めていたのですが、それも治世が3年目に近づくころともなると、やりくりの手段も尽きてしまったようです。

国庫を潤わせるのに手っ取り早いのは増税です。彼にとって痛かったのは、就任当時の熱狂的な歓迎のなか、人気取りのために、1パーセントの売上税(消費税のようなもの)を廃止していたことでしょう。というのも、70年間続いている平和と、その間になされた帝国全域をおおう「インフラ整備」と、共和制時代からのローマの統治の特色である、各民族各都市に大幅な自主権を与えるとした統治の原則が、経済力の向上として現れており、カリギュラの寂しいふところとは裏腹に、帝国は繁栄の一語につきたのです。

経済の成長をもっとも正直に反映する売り上げ税を、廃止にしていなければ、自然増収にまかせていても、勝手に国庫に金は入ってきたはずなのですが、もう時は遅し・・でした。

そこで、彼が金策としてまず行ったのは、皇帝一家の家具調度類や、宝飾品から使用人の奴隷などを競売にだすことでした。さすがにローマでこれをやるのは恥ずかしかったのか、わざわざ遠く離れた属州リヨン(現在のフランス)まで運んでいって、そこで競売にかけています。わざわざアルプスをこえてリヨンまで運んだ甲斐あって、ガリア(フランス)中から、人々が馳せ参じて、偉大なる初代皇帝アウグストゥスの使っていた寝台などを競売で落札させたのです。そこに横になった人は、果たしてどのような気持ちになったことでしょうか・・・・

そして属州税を増税すると、さすがに属州民の蜂起をまねきかねないと諦めましたが、そのかわり、属州税がこれ以上減らないようにしました。というのは、ローマ市民になってしまえば属州税は支払わなくてもすむので、ローマ市民権取得を許可しなくなたのです。それまでは、属州民でも、ひとりが市民権を獲得すれば、家族親族にも適応されていたのを、直径の息子以外のものには不許可となったので、それに不満なものは、カエサルやアウグストゥスが与えた市民権の「ディプロマ」(証明書)を示して抗議しました。が、カリギュラは、そんな古い証書は無効だといって受け付けませんでした。

また、裁判費用にも一定の金額を国におさめると決まっていたのですが、裁判を途中でやめたときには支払いはせずにすみました。それを前払いにして、裁判の帰結にかかわらず、徴収することにしたり、売春業者や娼婦の稼ぎの何パーセントかを税として徴収することにしたり、荷運び人夫にも、市内で売られる燃料にも税金を課すことしました。

そのほか、後世の歴史家スヴェトニウスは、カリギュラの金策として、面白おかしいエピソード(国営の売春宿を宮殿内に作らせ、妹さえもそこで働かせて、売春婦をさせたなど)を紹介してますが、塩野さんは著書の中で、うわさに尾ひれがついて広まったものを、100年近くもあとになってスヴェトニウスが拾い集めたたぐいに違いない、と判断していらっしゃるようです。

しかし、遺言書に国が介入したというのは、十分ありえる金策ではあったかと書いておられます。遺産の相続人の中に、カリギュラの名前を加えることを強要したとされており、その相続する資産の中には、現金に加えて、奴隷や、剣闘士などの人的な資産、不動産資産なども含まれており、それらを競売して現金化することも忘れなかったとか。

そして、これがローマ市民のカリギュラ信仰を劇的にクールダウンさせてしまったのです。娼婦や荷運び人夫に税が課せられても、ローマ市民にはあまり関係のない話ですが、遺言書への介入や、燃料税は、ローマ市民のふところを痛ませるのです。今まで同じように、パン(食料)とサーカス(娯楽)の無料配給は続いていたにもかかわらず、市民のカリギュラへの支持は下がる一方となっていったのでした。

さて、金欠状態を解決するためか、軍事上の栄誉を求めるためか、ブリタニア(イギリス)侵攻に目を向けたカリギュラ。実は以前にもゲルマニクスの息子として、華々しくゲルマニアを征服しよう、と思ったのか、ライン川の前線を訪問しにでかけた時期もありました。しかし、前線の司令官に説得されたのか、戦争を始めることはせず、大幅な軍事演習だけをして、帰ってきたことがあります。

今回も、ブリタニアを属州化することで入ってくる属州税に目をつけたのかわかりませんが、とにかく、ドーバー海峡を隔ているため、ほっておいても差し支えないブリタニアは、カエサルが一度手をつけて以来、100年近く放置されたままでした。一応、ブリタニア内での部族抗争で、一部の人間がローマ帝国の介入を請いにきたりはしていましたが、今までは無視していました。それをどのような気持ちで、急にブリタニア侵攻を思い立ったのか・・・まさに皇帝の気まぐれでしょうか。

そして、ドーバー海峡を前にして、やはりこちらも前線の司令官に、今の兵力、予算で十分な戦争はできない、勝利の後の戦利品よりも、先立つものがないと、戦争はできないということを教えてもらったのでしょうか。またもやカリギュラはドーバー海峡もまえに、派手な軍事デモストレーションだけ実行して、ローマに戻ることにするのです。「閲兵式のためだけに北部ガリアまでつれてこられた兵士たちは、何もすることがなく砂浜に散る貝を拾うしかなかった」というエピソードだけを残して・・・( ̄▽ ̄;)

ローマに戻ったカリギュラは28歳の誕生日にあわせて、略式の凱旋式(?なんの凱旋なのか(笑))をあげ、7ヶ月にわたった属州巡行でまねいた金欠状態のさらなる悪化をとどめるべく、更なる金策をたちあげます。

それは、もっとも手っ取り早い方法でした。裕福な人たちから、根こそぎ財産をとりあげる方法。つまり、「国家反逆罪法」で、適当な理由で罪人とし、流刑や死刑にして、財産をものにするのです。そして、裕福な人とは、元老院議員でした。そう、ティベリウスの晩年の恐怖政治の再来です。自分の身を守るために、他者を密告。時には親子で密告しあうはめになったほど。

元老院議員のみならず、その目は親族や、自分の旧知の人間にも向けられます。カリギュラ暗殺の陰謀をめぐらせたといい、妹二人も流刑、死んだ妹ドリュッシラの元夫や、高地ゲルマニア軍団の司令官ゲトゥリクスも自殺を強要され、いままではなんとか表面上は協調関係を維持してきた元老院とカリギュラは、完全に対決ムードになりました。そして自分たちとは無縁の特権階級が打撃をうけるのは歓迎するような一般庶民でさえも、あまりの痛ましい「国家反逆罪法」の乱発ぶりに、同情するようになってきたのです。彼の支持はもはや地に落ちたといえるでしょう。
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by pukapuyajiri | 2007-10-31 05:04 | カリギュラ